労働は作業か❔スポーツか❔

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あるネットビジネスで一世を風靡した有名人のブログに、「会社の仕事は、あんなもんは、作業だ」というものがあった。この人はIT上場企業に新卒で入社し、表彰までされるような優秀な営業パーソンだったらしい。いずれ副業で大金を稼いでスピンアウトしていく。自分からすると、只の作業であるならば、なぜ優劣がついてしまうのだろう、そこのところを、レクチャー願いたい。もっともこの方は、独立して以降、「会社の仕事ができる人間は独立して自分のビジネスを立ち上げても成功する確率が高い」という発言をしばしばしている。まあ、単純に考えて、それは正しいのだろう。この方は、「会社の仕事ができる人は成功体験の再現性高い」発言だけではなく、「偏差値の高い大学の卒業生は成功体験の再現性が高い」ともいってたなあ。その発言は意外と、新鮮でした。しかし、「会社の仕事は作業だ」という発言自体が、欧米風の労働性悪説に感じられてしまう。「リンゴを食べてしまい罰として働かなくてはいけなくなりましたとさ」風に。これがその人の価値観を現わしているんでしょう。経営者になるべくしてなられた。何か日本はもっと、労働は神聖な行事で、祭りで、それ自体が喜びである、的な価値観が根底を流れている。もしくは、いた。これらは神道に由来するものなのかもしれません。古事記や日本書紀には、神々が労働する場面がよく描かれています。須佐之男命は要は、自分の使命を果たさず秩序を乱し仕事をしなかったため天上界を追放された説があります。現代も天皇陛下が皇居内の水田に田植えをし、秋には天照大御神様にお供えをするイベントがありますね。労働が禁断の果実を食した罰である思想と、労働は神々から継承された神聖な儀式である思想。大きな隔たりがありますね。もっとも、労働と人生を同一視する傾向が、過労死などの原因となる面も否めませんが・・・自分の価値観で言えば、労働は「作業」とまではいかず、「スポーツ」のようなものと感じます。それ自体が、お金を生むものではない、生むものにしようと思えばできる、結果如何にせよ、プロセスを通じて成長できる、仲間とのコミュニケーションが図れる、ステークホルダー外の人とも社会的に繋がれる、PJ進行上の悶着があっても、ひと段落終われば利害関係を超えて和解できる(できない場合もありますが)って風に。理由はわかりませんが、自分にとって労働は、確かに時給以外の、お金では買えないものです。

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